野球の日本への伝来

 こんにちは。いよいよ関東も梅雨入りしましたねぇ。鬱陶しい季節ですが頑張っていきましょう!

 さて、今回は日本への野球の伝来についてです。簡単に時系列で紹介すると…

 1871年アメリカ人ホーレス・ウィルソンが東京大学の前身の学生達に教えた事に始まり、「打球鬼ごっこ」として全国的な広がりをみせ1878年に本格的な野球チームが設立されます。(プロではありません)

 そして1888年、後々野球界の大きな出来事になる慶應大学に野球部が創設され、そこから遅れること13年の1901年に早稲田大学野球部が産声をあげます。その2年後に第1回早慶戦が開催され、大学野球は爆発的な人気を博すようになります。

 ちなみに、この早慶戦をはじめ東京六大学や東都大学、ヤクルトスワローズが明治神宮球場を使用していますが、最優先権は東京六大学にあります。これには、神宮球場建設にあたり、東京六大学野球連盟が多大なる協力と資金提供したことからで、日中、六大学野球がある日はナイターでスワローズの試合があっても日中は使用することはできません。(最近は六大学側も通常2試合の所を1試合にするとか歩み寄りはあるようですが…)そしてこの早慶戦は例え消化試合であっても、リーグ最終戦と決まっています。(歴史のロマンがありますねぇ)昨年2020年の秋季最終戦は早慶の勝った方が優勝という、たまらないシチュエーションとなり、しかも慶應1点リードの9回表ツーアウトからの逆転ツーランで早稲田が優勝をもぎ取るといった劇的で感動的な幕切れでした。(YouTubeなどで是非観てみて下さい)

 話を元に戻します。早慶戦をはじめとする大学野球の盛り上がりは中学(現在の高校)野球にも広がりをみせ、1915年に第1回中等学校優勝野球大会が大阪の豊中球場で開催され(3回大会から兵庫の鳴尾球場)こちらも人気を博し、これまでの球場では手狭になったことから、1924年から現在の阪神甲子園球場で行われるようになり、現在に至っています。もうすぐ第103回大会の予選が始まります。昨年は中止になってしまっただけに今年はどんなドラマが待っているのか、今から楽しみですね。

 さて、学生野球が主体となり盛り上がりを見せてきた野球ですが、プロはというと、1920年に初めて職業野球チーム(芝浦協会)が発足しますが、後に解散。1934年に読売大日本東京野球倶楽部(東京読売巨人軍)が設立され、1936年日本職業野球連盟が組織されて、現在に至るとなっています。しかし、この頃の職業野球に対しての社会からの風当たりは強いもので「球遊びを生業とする下賤な芸人」などという言われ方もされたようです。現代だとYouTuberみたいな感じでしょうか?(YouTuberを蔑視してるわけではありません)でも、子供のなりたい職業にYouTuberも上位にランキングされてるので、市民権を得るのもそう遠くないのかもしれませんね。。

 というわけで、長くなりましたが日本への伝来から現在というお話でした。成り立ちなどを踏まえて観ると、より一層楽しめるのではないでしょうか。プロ野球は交流戦が終わり、もうすぐ折り返し、高校野球も開幕間近でこれから盛り沢山です。もちろん少年野球もこれから佳境に入っていきます。元気に楽しく頑張っていきましょう!(でも熱中症には気をつけてね…)

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